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盛岡家庭裁判所 昭和52年(少ハ)1号 決定

少年 K・T(昭三二・三・一生)

主文

一  本人を昭和五三年二月二三日より同年六月三〇日まで中等少年院(青森少年院)に継続して収容する。

二  盛岡保護観察所長は、本人の出院後の就職先の確保等の環境調整の措置をできるだけ速やかにとること。

理由

一  申請の要旨

本件申請の要旨は、本人は昭和五二年二月二三日当裁判所で窃盗保護事件により中等少年院送致となり、青森少年院に収容され、年令切迫のため少年院法一一条一項但書により昭和五三年二月二二日まで収容を継続されたものであるが、知能限界級(IQ七五)で自己中心的であり、短絡的に行動し易く、自己統制力を欠き、自律性、社会性が乏しく、精神発達が未熟で、社会的視野が狭く、自己の容姿、夜尿について劣等感が強く、ひがみ易い等の性格上の問題があり、体力の増強を図りつつ、集団指導、個別指導を通じ協調性、耐性を中心に対人関係のあり方を指導したが、十分内省することができず、また、他の院生との協調性がなく、職員の指導にも素直に従うことができず、暴言を吐くなどの自棄的な行動に出る等未だ矯正すべき性格上の問題が残されていること、環境上の問題としては、保護者との心的結びつきに欠けている面が指摘され、面会、一〇数通の手紙の往復等が行なわれたが、更に親子の愛情交流を継続して心的結びつきを深める必要があること、進路上の問題として、本人は自動事整備関係に就労を希望しており、現在職場開拓中であるが、本人の過去の行状と業界の不況のため就職先は未だ決定されていないこと、以上の諸問題点が存するので、本人については、今後六ヶ月間の矯正教育と職業生活への移行を円滑ならしめるために二ヶ月間の保護観察を行なうことが必要であるから、八ヶ月間の収容継続を申請する、ということである。

二  当裁判所の判断

(1)  本人は、上記のとおり昭和五二年二月二三日中等少年院送致となり、少年院法一一条一項但書により昭和五三年二月二二日まで収容を継続されたが、昭和五二年七月他院生と争つて謹慎一〇日間、同年八月一八日不正持込みにより院長訓戒等の処分を受けたほか、昭和五三年一月一〇日同室院生との争いにより、内省のため単独室収容を言渡されたため、教官に反抗的な暴言を吐き、かつ、教官の右腕にかみつき、足蹴りし、唾を吐きかける等の暴行を働いたため、二級上に降級および単独室謹慎等の懲戒処分を受けた。

また、本人は、集団生活を通じて対人関係を学び、両親に対し理解をもつこと等を中心とする教育目標のもとに個別面接その他各種指導を受けていたが、当初は集会活動に対し積極的に取組むことができず、また、集会における他院生からの批判に対しても反発するのみで、積極的に受け容れることができず、その他の生活場面においても他院生と協調することが不得手であるため、とかく心情の安定を欠くことが多かつたことが認められ、上記反則行為の態様に照らしても、上記中等少年院送致当時指摘されていた性格上の問題が少年院における処遇過程の中に顕著に現われているということができる。

特に、本人は、年令に比較して身体が小さく、童顔であるところから、従来とかく悪戯、嘲弄の対象とされ易く、そのため自己の容姿に関する強い劣等感を形成し、職場にも容易に適応することができなかつたのであるが、少年院の閉鎖された集団生活においても、本人は同様の状況に立たされたため、そのことが集団生活への適応を妨げるひとつの要因となつていたことが認められ、このような劣等感の克服も今後の課題として残されている。

(2)  しかしながら、他方、本人は、少年院の集団生活においてさまざまの葛藤を体験しながらも、逃走事故もなく、徐々に積極的に取り組む姿勢をもつようになり、特に昭和五二年九月以降約二ヶ月間は、集会活動にも前向きに

取組み、他院生との対人関係についてもそれなりに努力して自己を抑制するようになり、また、同年九月二〇日の両親との面会においては、素直に両親の思いやりを喜び、感謝の気持を示すなどして、一応親子らしい心の交流をもつことができたことが窺われる。その後、本人は、他院生との対人関係について自己抑制を続ける心理的緊張に疲れ(本人の供述によれば、自分を偽つているような疑問が生じてきた)、再び、軽微な逸脱行動に対して注意を受けるなどしたことを契機に、不満を内向させ反抗的な態度も見せるようになり、上記の如く昭和五三年一月一〇日爆発的に反則行為を犯したのであるが、これに対し長期間の謹慎処分を受け、かつ、本件収容継続の申請がなされたところ、本人は、現在、これらの措置をむしろ前向きに受け止め、自己の行動、態度を反省し、今後の努力を決意していることが窺われる。

また、在院中、本人と両親との間に一〇数回にわたる通信が交わされており、更に、上記のような面会を通じて、本人と両親との間の信頼関係は徐々に回復の兆しを見せている。

(3)  以上のとおりの処遇経過をみると、本人の性格上の問題点は、未だ解消されるには至つていないものの、一応の教育的成果は現われてきていると認められるところ、本人の性格上の問題は、かなり根深いものがあり、少年院という特殊な集団生活の場のみにおいてこれを矯正することは不可能であることはいうまでもなく、徒らに収容期間を長期化することは、反つて好ましくない影響を本人に及ぼすおそれもあると考えられ、むしろ比較的短期間の収容期間内において、本人に早期社会復帰の目標をもたせ、出院後の生活確立への自覚を促しつつ努力させたうえ、できるだけ早期に社会復帰させ、適切な指導援助のもとに社会経験を積み重ねることを通じて社会への適応性を養わせるのが相当であると考えられる。

(4)  ところで、出院後の本人の就職先については、本人の希望に従い、父親の知人の経営する自動車修理工場が候補に上げられているが、就職の可否および就職可能な時期等の詳細については未だ確認されていない。

(5)  また、本人の帰住先は、両親の住居が予定されており、両親もまた積極的に引取る意思を表明しているが、特に、過去の本人と父親との葛藤、双方のやや類似した性格傾向等を考慮すると、長期間両者が同居することが果して適当であるかどうか疑問が残り、本人もまた現にこの点について若干の不安を抱き、両親とは別居して就職し、時折帰宅しては親子間の交流をもつような形の生活が望ましいとも考えていることが認められ、以上の諸点に照らすと、出院後の就職先は、むしろ住込が可能な職場が適当であるとも考えられ、その意味において、出院後の帰住環境についてなお調整を要すると認められる。

(6)  以上の諸点を総合的に考察すると、本人については、なお収容を継続したうえ、出院準備のための教育を行ない、かつ、本人の在院中において予め出院後の就職先の確保等の環境を調整する必要があると認められるが、そのための収容継続の期間はできるだけ短期間にし、早期に社会復帰を図るべきであるから、出院準備に要する期間等を考慮し、昭和五三年二月二三日から同年六月三〇日まで本人の収容を継続したうえ、該期間内においてできるだけ早期に社会内処遇に移行させられることを期待することとし、なお、盛岡保護観察所長に対し上記の環境調整の措置を命ずることとする。

(7)  よつて、収容継続につき少年院法一一条二項、四項を、環境調整命令につき少年法二四条二項、少年審判規則五五条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 多田元)

本件命令を受けて保護観察官が発した保護司あての依頼書

昭和53年3月2日

保護司 ○○○○ 殿

盛岡保護観察所 保護観察官 ○○○○

環境調整について

青森少年院在院 K・T

上記本人に対し昭和53年2月18日盛岡家庭裁判所の決定により

昭和53年6月30日

まで収容を継続することになりました。

同裁判所は本人の収容継続決定に当り出院後の就職先の確保等の環境を調整する必要があると認め環境調整措置通知がなされたので下記の点を留意のうえ早急に調整して下さるよう特にねがいます。

(1) 本人は自動車修理工場に就職したい希望が強いので、就職先の開拓をねがいたい。

主任官が引受人(両親)と面接した時

花巻市○○町

○○自工

に見込みがある旨述べているので引受人を他人まかせでなく、ほん気で情熱と熱意により奔走させ早急に決定させるよう調整ねがいたい。

(2) 過去の本人と父親との葛藤また性格的にも本人と父が類似した性格傾向があるようでありますので本人が長期間引受人と同居することが果して適当であるかどうか疑問がある。

従つて両親とは別居して就職し、時折帰宅しては親子間の交流をもたせることにより葛藤等の改善もはかられるのではないかと思料されるので雇主の協力と理解を得て住込が可能なように調整ねがいたい。

(3) ○○自工側で雇傭が無理である場合は他の自動車修理工場について職業安定所または職の知人などの協力を得協力雇傭主の開拓についてお骨折りねがいたく特にねがいます。

お忙しいところすみませんが早急に調整して下さるようねがいます。

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